2009年8月12日掲載記事

高次元と三次元の差
 「地球未来の考察」に入る前に、もう少し「高次元システム」について考察してみましょう。
 高次元と言えば――宇宙人だの天使だの、やたらに「高尚な存在」という印象ばかりが先行していますが、実際彼らがどのような思考のもとに、どのような統治をしているのかということはあまり注目されていません。
 私達がどんなに高次元的存在と接触したり、高次元存在そのものになったとしても、「思考の構造」そのものが変わらなければ「まったくもって意味がない」のです。

 しかし、実は高次元と三次元における「思考構造の差」というのは――実は「ほんの僅かな差」でしかないように、最近の私は感じています。
 でも、その「僅かな差」が結果的には「絶大な差」を生み出している――というのは言うまでもありません。最初は同じ位置からスタートした両者の人が、たった30度差で歩き始めたとしても、いざゴール地点に着く頃は「まったくかけ離れた地点に立っている」のと似たようなものです。

 その「僅かな差」であり「大きな差」を生み出したのが――「二律背反」であると、私は感じています。
 二律背反、すなわち「善か、悪か」ということ。
 どんな現象も、立ち位置を変えれば「善にもなるし、悪にもなる」のです。それを、三次元の人はとかく「善か、悪か」という結果論ばかりで考えがちです。そもそもこうした「善・悪」という結果論そのものが、高次にはありません。

 私は体外離脱して高次の街を観察した際、空に浮かぶ「艦隊」を見かけました。それは一見、三次元に暮らす私達からすれば異様な光景にも思えたのです。
 「まるで、監視されているようではないか?」と。
 しかし、そこには「支配・被支配」という概念そのものがありませんでした。そして勿論、艦隊側も支配や略奪を元にその地域を管理しているわけではありません。
私達が生み出す「対立概念(支配・被支配)」そのものが、実は「三次元の諸問題を引き起こしているのではないか」そう感じた瞬間でした。

 多くの人は好きですよね、そういう「ライン引き」。
 勝ち犬だの、負け犬だの――。
 成功哲学という言葉は聞いても、「敗者哲学」というのは聞いたことがありません。本来であれば、私は敗者哲学の方が物質的価値観を達観し、それらの呪縛からいっさい解放された悟りの境地に至れる素晴らしい哲学だと思うのですけれど、そう感じるのは私だけですか?(ちなみに、お金は「あればある程、生活に困る」という図式が存在するようです。年収800万円以上の人の方が「お金の不安を抱いている」という統計結果を先日目にしました。私の姉の家も年収1200万円以上ですが、お金の不安を毎日抱いているのを知っています。「お金があれば、人は幸福に暮らせる」なんていうのは、まったくもって「幻想にすぎない」のです。)

 お金や物質という、本来「魂の成長」を遂げる為に与えられたツールに翻弄され、何でも「いい、悪い」で区切りをつけたがるのが「三次元」です。
 ある意味、こうした「支配・被支配」「略奪と犠牲」という図式は、私達にとって学ぶべき大切なものだったのかもしれません。
 しかし、高次ではこうしたものが「一切ないのだ」という視点に立つことが、まずは大切です。
 また、高次は完全な「階層社会」ですが、その階層に優劣をつけたり変に自分の位を卑下したりということもありません。何故なら、下の階層の者が背伸びして「上の階層」を覗いたところで――「何も見えない」からです。(これはスウェデンボルグが指摘していたことです。)
階層社会というのは、優劣の為に存在するのではなく、「等身大の自分で、様々な体感をする為」にあるのです。背伸びした人助けをする必要もなければ、自分のことだけに打ち込むことを罪悪視する必要もないのです。

 そうした意味で、高次元は本当に「住みやすい場所」だと、私はそう思います。
 しかし、物質的な価値観に自分を築いてしまい、肩書きや名誉、そして「自分は成功した」ということに自惚れてしまった人にとっては――住みやすい場所とは言えないかもしれません。
 宇宙の基本原理は「愛」です。それは、私が何度も体外離脱を体感している際に「酸素のように、周囲に愛の波動が満ちていた」ことからも頷けます(逆に、地獄のような場所に連れて行かれた時は酸素が非常に薄く、息苦しい感じがしました)。愛はただ「愛」なだけでなく、そこから派生して「生命」をも司ります。「愛」と「生命力」は「イコール」なのです。
 そうした世界に「それらと反するお金というシステム」を持ち込んで、どうなるというのでしょうか?
 それに、三次元世界においてでさえ、今や「お金」という価値観が根底から覆される危険があるのです。それは世界全体にではなく、極地的……一部の国だけで、起こることかもしれません。もし、日本が果てしなく「円安」になってしまったら、どうしますか? ほとんどを輸入で頼っていた日本は、それだけでかなり生活が脅かされてしまいます(とはいえ、円安ではありませんが世界の景気が悪いが故に、輸入輸出の全体量が減っている傾向にあるようです。それは、私が最近国際航空便の仕事をしていたことがあるので、よく分かります。貿易事務をしていた友人も、「あまりに仕事がなくなったから」という理由で転職してしまったぐらいなので。)

 ちなみに、高次元でも流通はありますので、何らかの貨幣制度はあるのだと思います。
 しかし、それが「貨幣」というものなのか、純粋に「エネルギーの交換」だけなのかは、私にもまだよく分かりません。しかし、物々交換ではないと思われます。これはやはり、不便が多々あるからです。
 今度体外離脱する際には、高次の「経済システム」についてを学んで来たいと思っています。