2016年12月23日掲載

- 2025年問題 - 超高齢社会について考える(1)

突如浮き彫りになった「超高齢社会」


 医療の発達による長寿大国となった日本。2020年には29.1パーセントの高齢化率と言われており、ひとえに10人のうち3人が高齢者という時代となりました。
 しかし、そうした高齢社会への対策や介護問題への働きかけを見直そうという動きが具体化したのは西暦2000年になってから──わずか16年前からのことなのです。それまでは「老人福祉制度」あるいは「老人保健制度」によって高齢者サービスが行われており、そのサービスについても決めるのはあくまでも行政で、今のようにケアマネージャーや地域包括支援センターといった様々な業種が関わって高齢者の生活を守れるよう軌道に乗り始めたこと自体が、ごくごく最近のことなのです。すなわち、「2025年問題」を目前に控えた現在でさえ、いまだ高齢者サービスについては「黎明期」であり、かつ、試行錯誤が続いているような状態といえるでしょう。
 そのせいもあってか、国が考えている「高齢社会対策」と、実際に高齢者を介護している家庭が抱えている問題や施設や有料老人ホームなどの現場が抱えている問題との間に「ギャップ」も散見されています。

政府は「在宅看取り」を推奨しているが、それを実践するには様々な課題がある。


 こうした急激な高齢化において現在注目されているのが「在宅介護」。訪問看護師や訪問介護を導入して、在宅看取りへの推奨を進めようという考え方です。
 しかし、容易にその計画が推し進められない厳しい現実があることを、見落としてはいけません。

 まず、訪問看護師にしろ訪問介護にしろ、「24時間」──或いは「12時間」いることは出来ず、訪問出来るのは1日の中の数時間に限定されます。結果、どんなに「訪問看護師がいきますよ」「訪問でヘルパーが行きますよ」と言っても、結局のところはご家族の介護力に頼らざるを得ないという現状があるのです。
 かつての高度経済成長期やバブル経済期と違い、今の日本は決して景気がよいとは言えません。そうである以上、共働きの世帯において、在宅介護は「ほぼ不可能に近い」という状況なのです。

特養は待機が多く、老健は入居期限がある。終身で選ぶなら、サービス付高齢者住宅や有料老人ホーム。


 上記のような人達が最終的に頼れるのは、サービス付き高齢者住宅や有料老人ホームでしょう。前者は入居金が高額なものも多いですが、後者は「入居金ゼロ」という謳い文句の場合も多く、経済的に厳しい世帯においてはとても魅力的に思えるのは当然のことです。
 しかしここにも落とし穴があり、こうした有料老人ホームを経営している会社の多くが「福祉産業や医療に属さない、一般企業である」ということです。
 そのため、経営方針が福祉や医療、奉仕といった視点になく、「利益重視」にあるといえます。中には「無資格のヘルパー」を雇っているにも関わらず、介護に関する研修をいっさいせずに現場に出しているようなところもあるほどです。そのため、結果的に預けられた高齢者の家族の方々が「これがサービスといえるのだろうか?」と疑問視されるような中で集団生活を強いられることとなるのです。

ヘルパーのクオリティが求められていない現状


その上、どの有料老人ホームや高齢者施設も抱えている問題は「人材不足」です。
そのため、教育が行き届いていないような人でも雇わずにはいられないという問題点もあります。その上、先述したように今はヘルパーの資格がなくても出来てしまう「無資格者」の受け入れも増えています。

「だって、家で介護している人達は無資格じゃない。だから、無資格者だって当然、介護は出来るでしょ?」

そう考えている人も多いかもしれませんが──いえいえ、まったくと言っていいほど、それは「違います」。
何故なら、「家で介護している人達は、『家族を介護している』」のです。全くの他人を介護しているわけではありません。
もちろん、「全くの他人を介護することが難しい」と言っているわけではありません。そうではなく、「その前提に立って、しかるべき『介護とはなにか』という研修や教育制度をしっかり行き届かせるべきだ」ということが大切なのです。

「高齢者という年代は、『人生の卒業式を目前に控えた、とても大切な時期なのだ』」と、筆者は考えております。人生のクライマックスともいる時期を、ぞんざいに扱うというのは、もっとも人権を軽視する考え方だといえるでしょう。


「2025年問題──超高齢社会を考える(2)に続く」※2017年1月中旬公開予定